少しならばいっそ食べない?

その「まんべんなく少しずつ」がなかなか出来なかった自分の理由を考えました。少量で多種類の料理が面倒。それと元々炭水化物が好きだったので、ごはんを少しだけ食べるって事がで出来ませんでした。お茶碗の底にちょぼっとよそわれたお米を見ると毎回「もっと食べたい」と飢餓感がつのってしまう。そんな図を見るくらいならば最初から食べない方が精神衛生上もよろしい、と思っていました。今考えれば「あぁこれしか食べれない」とか「これを食べたらまた太る」と悲しく思いながら食べるよりも、「今日も美味しいな」と満腹感や幸せ感を感じて食べる方がどれだけ脳に健全だったか。長期間の食習慣やダイエットには「満足感」も重要なファクターだと思います。

見た目や匂いの誘惑に+1!

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無茶をしても短期間ならば?
元気と勢いだけで生きていられた20代、思い出せばだいぶ無理なダイエットをした記憶があります。運動も日々の努力もしたし、スナック菓子は食べちゃったけれど甘いお菓子にはいっさい手をつけませんでした。それでも食べることがなかなか止められなかった頃、何か人前に出るイベントがあるたびにその日に向かって体重を落としていました。炭水化物や油をいっさい摂らず、野菜だけな食事内容。完全に栄養がかたよっている事を知り
飽食の時代の飢餓状態
そんな無理なダイエットを繰り返すうちに、わずかな量を食べても確実に太る体質になっていきました。おそらく当然なのでしょう、いわゆる「体が飢餓状態」。食べた栄養をここぞとばかりに体がためこもうとする状態です。こうなるともう、いくら量を減らしても食べればすぐ太る、だからなお制限するけれどいつもお腹がすいているような日々。大体決まった時間に決まった量を定期的に食べるようになるまで、何年もそんな状態が続きま
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「少しずつ」を助けるこんにゃく米
とにかくどちらにしても、「絶食」なんて食欲を断つ修行じゃあるまいし。そんな坊さんみたいなストイックな事をしているのに内容は不健全。そんな無茶をするよりも、現在は様々に工夫されたダイエット食品が山ほど出ている幸せな時代です。炭水化物が好きな私の場合、こんにゃく米をごはんに混ぜるのがベストです。こんにゃくでかさを増して、摂取カロリーは落とせます。これならお茶碗の底にちょぼっと入った悲しい米粒を見なくて